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「旗鉾日抱尊社の磐座」

(はたほこひだきのみことやしろのいわざ)

住所:岐阜県高山市丹生川町旗鉾/日抱宮

状態:神社・磐座・岩屋・磐境・巨石・奇岩

知名度:☆

注目度:☆☆☆☆☆

 

旗鉾の名の由来

4世紀仲哀天皇の時代に三韓(朝鮮半島中南部)の軍が九州へ上陸し、そのまま日本を占領するとの噂があった為、総力を挙げて三韓征伐の必要があるも、万一失敗すれば一大事と神功皇后は7日7夜祈りつずけた結果、最初に天照大神が現れ、次に乗鞍の麓丹生川の神が現れたという。

その後見事に三韓討伐に成功したので皇后が家来達に命じ、朱塗りの旗竿に旗を吊るしてこの神社に奉納しました。

しかし、旗はいつの日か朽ちて落ちましたが、旗鉾はいつまでも神前に立っていたので、その地を旗鉾と呼ぶようになったといいます。

 

伝承文献によると、文化6年(1809年)に伊勢皇大神宮がこの神社に飛んで来たという噂が流れ連日、近県からも群集が参拝に訪れその数は1日に2千人にも及び、この小さな村は大賑わいになったといいます。

文化8年には大野郡史に「参詣者が日を追って増加するので、郡代所は吏を遣わして検分する」とあり、同年8月の飛騨編年史には「信州和田村の佐源太という者、夢想を感じたと称し、はるばる旗鉾神宮へ神馬をひき来たりて献納す」、噂が広まりついには、京都の寺社奉行の玉田常陸が検分に来たとの記述がのこされており、インターネットの無い時代にどうして日本中に広まったのかは謎です。

 

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