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「 善導岩 」

 

( ぜんどういわ )

住所:愛知県豊田市国谷町神明戸7

状態:巨石・旧岩屋

知名度:☆

注目度 ☆☆

 

県道を走り国谷に入るとカーブの外側に善導岩が見えますが、カーブで駐車場が無いので車はもう少し先の直線部分に駐車しましょう。​

インターネットで検索しても出てこない石なのですが、現在のところラミネートされた由緒書きがあるので、判りやすいと思います。

伝承

この国谷には、善導大師の開山といわれる古刹「善導寺」があり、善導大師の掛軸が寺宝として伝えられているおり、この寺の横の竹藪の中に「善導岩」と呼ばれる長さ三十米余りの巨石が屹然と立ち、その岩に梁のように乗っかるもう一つの大岩があり、その下に百人位入れる洞があったといいます。

元亀二年(西暦1571年)四月十六日、武田信玄が遠山新介等に命じて、北設楽方面から八桑・浅ヶ谷・足助を次々と陥とし則定の薬師寺を焼き払い、他の一隊は国岩に向かって攻めてきました。

これを聞いた善導寺の住職は、村人たちを呼び集めて善導大師尊像の掛軸を奉じて岩穴に避難し、尊像を中央に掛け声を出さずに、ただ念仏一途に刻を過ごしました。

 

すると武田勢は権現社を焼き払いいましたが、村人たちの隠れている洞穴には気付かずに立ち去ったので、人々は命の助かったこの岩穴と善導大師の尊像に深い親交を捧げるようになったというのです。

現在は、善導岩も県道の改修工事で元の姿を留めぬ程に砕かれてしまったのですが、その工事でこの岩を割った石工さんが、いずれも若死にしてしまいました。。。

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